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鼬川(いたち)べりの仏たち
第9番 辰巳町二丁目 延命大地蔵尊
第10番 辰巳町一丁目 福徳地蔵尊
第11番 室町通り二丁目 子安地蔵尊
第12番 堤町通り二丁目 延命地蔵尊
第13番 豊川町 延命地蔵尊
第14番 小島町 延命地蔵尊
第15番 今木町 延命地蔵尊
第16番 向川原町 慈母観音
第17番 向川原町 福壽不動尊
第18番 泉町一丁目 延命地蔵尊
第19番 泉町二丁目 延命地蔵尊
辰巳町二丁目 延命大地蔵尊




伝承だが、京都壬生寺本尊延命地蔵尊の同型のものを、富山初代藩主、前田利次が浪花の石工、小島屋半兵衛翁に彫らせた。元禄に入り、前田家の祈願所であった出町口の浄土宗清光院に安置させた。余談だが、この清光院の西向かいに、有名な金沢の俳人、句空が訪れた日蓮宗清涼院があった。清涼院、清光院も明治の初め廃仏殿釈で破壊されたが地蔵尊だけがこの寺の跡地に残った。今の興国禅寺の向かいに位置していた。この場所、つまり出町口から大泉の火葬場へと続く道である。死者を極楽浄土の道案内の地蔵尊として安置され、古くより葬式の行列は、必ずこの地蔵尊の前を通った。その地蔵尊が富山大空襲によって破壊された。現存していれば国宝とまでいわなくても重要文化財に等しき歴史ある大石地蔵尊だったと伝えられる。本尊は無くなったが横に安置されていた脇地蔵だけが辛うじて残った。歴史ある延命大地蔵尊の再建立の願いを近くの影現寺にその脇地蔵を預けた。何時の日か往年の延命地蔵尊の建立の願いを込めて。現在、髄川清辰橋のたもとにあるが、数年前までは隣接の影現寺の境内にあった。影現寺内に建立されたのは戦後のことである。従って歴史的には比較的新しいものである。だが、この地蔵尊にまつわる因縁の歴史は髄川河畔の地蔵尊中もっとも古い。
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